2019年11月19日
10数年にわたり続けてきたブログを、20日間以上も放置するなどということは、過去そう何度もなかったはず。新しい記事の投稿もせず、フロントページも手つかずのまま。最後のエントリーは母の容体について。それきり音沙汰のない状態では、心配をかけてしまうのは当然だ。わずかながらのアクセスがあること、遠く九州の親族がここを時々覗いていることを考えれば、やはり状況を伝えねばならぬと思いつつ、それでもブログを書く余裕は全くといっていいほどなかった。母の付き添いと言っても四六時中ではないし、一週間ほど休みを取ったもののその後仕事にも行っていたし、生活は普段とほぼ変わりなかったのである。ただ、押し迫った同窓会の準備における時間的なものは勿論のこと、精神的なプレッシャーが尋常ではなかった。心休めるような時間は全くなかったのだ。進んで代表幹事を買って出て全体会を企画したのだから、その責務を全うするのは当然のことだろうと言われそうだが、とにかく、すべてが思惑を外れ、思うように人をまとめられず、そのジレンマでどのように動いていいかわからなくなり、半ば病人のようになってしまった。この役を投げ出してしまおうかとさえ思った。しかし、そんなことは出来るはずもない。何とか奮起して記念誌の追い込み。しかし足踏みしていたお蔭で時間が全く足りない。エナジードリンクを毎日何本もガブ飲みしながら、インタビューを録音した音声ファイルを飽きるほど聞き返しては少しずつ書き進めるという地道な作業、しかしなかなかそれが形にならず、先が見えてこないことに絶望し最後には泣きが入ってしまった。10月27日に母を見舞った時、多忙を理由に1か月半も会いに来られなかったこと、しかも作業は全く終わっていないこと、一体自分は何のために、親の見舞いさえ蔑ろにしてなぜこんなに身をすり減らしているのだろうかと思った途端に、己が情けなくボロボロと泣いてしまった。母さん、仕事が終わらないんだよと。言葉が話せない母も、何故か涙を流していた。すべての原稿を印刷業者に入稿する締め切り日は11月5日。とても間に合わない状況の中で、母の急変。もう、すべてが終わったと思った。これまでの作業は、すべてなかった事にしてくれと腹をくくる覚悟をした。毎日、家族全員が病院に詰めて母を見守る。いよいよもうこれまでです、と医師に告げられる状況が繰り返し訪れた。しかし、母はギリギリのところで持ちこたえている。家族と孫たちとが入れ替わり立ち代わり、大挙して病室に居ることも出来ず、蓋を開けてみれば半日はロビーで待機をするという日々。父はそんな中で、折をみて原稿を書き始めた。゙…そうだ、自分だってこの時間が使える!不謹慎だとわかってはいながらも、ノートPCを持ち込んで原稿の続きを打ち始めてしばらくして、ふと気づいた。(そうだ、これは母が《あなた、この時間に終わらないと言っていた原稿をさっさと仕上げてしまいなさい》と言って力を貸してくれているのだ!)と。仕事もイベントもすべてキャンセルとなった状態で、病院から帰宅すると、徹夜で原稿の仕上げに集中した。まだいける。望みは捨てていないぞ。
11月5日、書き終えた原稿のすべてのファイルを、予定通り入稿した。印刷された記念誌が納品されたのが11月21日。同窓会本番の二日前だった。その同窓会も、あいにくの雨ではあったがどうにか格好がついて、成功裏に幕を閉じた。その間の11月19日、母は辛うじて生命の危機を脱したということで、もといたリハビリ病院へ戻ってきた。胃瘻のため肺炎のリスクは依然として消えず、次に罹患したら二か月はもたないだろうという話だった。
これが、私がブログに向き合えなかった20日間の出来事だ。時間はいくらでもあったが、今ブログを書こう、編集しよう、という気力は一切湧かなかったのだ。本当にダメだった。会の成功とその余韻を消さないためにも、あまりこうした裏話は披露せぬ方が良いと思ったが記録として書き記しておこう。(そのかわり、みんなが目にするであろうFacebookに上げるのはやめておこう。このブログにまでアクセスしてくる同級生はまずいないだろうから。)
そういった理由で、この日以降のエントリー記事は、記憶を遡って書いていこうと思う。
まあ、一週間ほどブログをサボって、まとめて上げるのはいつものことだからね・・・
会の翌日からはまた仕事。息抜きの小旅行などに出かけつつ、スポンサーや会場への御礼メールを出し、欠席された先生方には手紙を書き、執筆協力者と併せて記念誌の発送の手配をしているが、何かに追われているという強迫観念はない。やっと終わった、ということを噛みしめる。本当に終わった。みんなが楽しんでくれたのだ。それでいいんだ。自分の役目は、注目されるべき人ひとりひとりに、スポットライトを当てること。評価されるべき人は評価されねばならない。そして、それは形に残しておくべきだということ。最後は突貫作業になったが、やれることは精一杯やれたのではないか。決して満足はしていないけれど。
今、ようやく自分は、すべての呪縛から解放されたのだ。
(2019年12月3日)
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