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執筆者の写真Ryusaku Chijiwa

エレクトーンとちぢぃー。

更新日:2022年6月8日

2022年6月5日


以前にも書いているとは思うけど、(自分としては)久しぶりに記憶を蘇らせたので備忘録代わりに再執筆。同級生の舞台を見に出かけたルートが前年と違ってJR横浜線から横浜市営地下鉄ブルーラインだったので、乗り換え駅の中山駅を散策してみた。この地は自分が高校卒業直後、アルバイトで勤務していた楽器店がある場所。楽器と言っても取り扱うのはエレクトーンやピアノなど管教(だったっけ)楽器が中心のヤマハ特約店で、わずかながら管楽器やリード楽器、バイオリンも置いていたような記憶があり、バンド演奏などに用いられるシンセなどの扱いはほぼなく(EOSは展示していた)LM事業部(って今も呼ぶのかしら?)の物はギターやベースのストリングスやピック、ドラムスティック等の消耗品程度しか置いていなかった。もっぱら売れるのはエレクトーンの教則本や全音のピアノピース(楽譜)が多かったかな。教室や発表会が出来る小さなホールも併設していて、そこで行われたバンドエクスプロージョン(コンテスト)の予選会へのエントリーが少ないからと自分のバンドが急遽駆り出されたこともあったっけな(そこで醜態を晒して赤っ恥だったんだよこれが)。当時住んでいた青葉台からバスに揺られて通勤したのはほんの半年ほどだったけど、社会に初めて出ることもあり様々に刺激を受けることになって、当時の事は今もよく覚えている。アマチュアバンド経験者と言ってもクラシックの素養は無く、エレクトーンやピアノの知識は皆無(姉が習っていたので我が家にはC-300という古いモデルがあったけど、勤務時はMEやHS、HEが主流の時代)。専門的な事は常駐しているインストラクターのお姉さま方が案内するという役割分担だったものの、店内のモニターテレビで勝手にジャズ番組を流したりして結構不真面目なバイトくんだったと思う(あの時はすみません)。その他は営業さんと軽トラに乗ってデモ演奏の場所やイベント会場にエレクトーンの搬入、搬出をするのも楽しかったなあ(で、助手席で寝てました。ひどいよねw)。系列の店舗スタッフから成るバンドにドラマーとして加わることになり、近所のカフェでのジャズライブに臨んだ時はとにかく緊張。「スタンダードをやるから」と言われただけでほぼノーリハーサル、それでお客さんの前で演奏というのだから全く無茶な話。ビギナー向けのコンピレーションCDを早朝の公園でひたすら聴いたけれど付け焼刃でどうにかなるものでもなく、他のメンバーの演奏に辛うじてリズムを付ける程度で終わったように記憶している。とにかく、何においても世間知らず、若かったからね。通っていた音楽スクールをドロップアウトしてしまったこともあり、秋口には何故か再び浪人生活に戻ることを決意してバイト生活は幕切れ。その浪人も結局結果を出せず専門学校に入学することになるのだけど、それはまた、別のお話。


当時を振り返る時に決まって思い出すのは、ショパンの「ノクターン第2番」。ピアノ購入ご希望のお客様に営業さんが応対する際、インストラクターのお姉さんが試奏をする時には決まってこの曲。サワリだけをごく軽く弾くのだけれど、それでいて優美さは失われておらず、たとえ中古品であっても楽器のコンディションが良好に保たれていることを伝えるに十分な役割を果たすものだった。何よりも、そのお姉さんが小柄でとても可愛いことが聴く者をより和やかな気分にさせてくれたのだ。青年ちぢぃーの憧れの人、元気にしてるかなあ。


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